2024/10/13は団登山(猟師岳)&北里柴三郎記念館に行ってきました。
10月は台風も過ぎ、気温も落ち着く行楽には最高の季節。
この時期は毎年団のみんなで登山することが恒例になっています。
大分には九州の中心阿蘇にほど近く、加えて温泉も豊富なため色々な山があります。中でも大分唯一の日本百名山の一つ「九重山」は、眺望がすばらしいため県外からも多くの登山客が訪れます。
そんな九重山からほど近い穴場スポット「猟師岳」に登ってきました。
朝は6時50分に日吉神社に集合です。
みんな眠い目をこすりながら集合。この日の朝の気温は15℃太陽も出たばかりで寒いです。朝の寒さで冬の訪れが近づいていることを感じます。
日吉神社の鳥居の前で、今日の活動の無事を祈念してお参りです。
今日はリーダーの車で向かいます。途中数か所で休憩を挟みながら猟師岳登山口に到着です。駐車場も満杯!(九重山に登る人が大半)やっぱり日本百名山はスゴイです!
我々は猟師岳へ。まずは登山のマナーの説明「登りが優先」「あいさつをする」等々。お互いの思いやりで気持ちよく登山ができます。
そして準備運動。低山とは言え山は山。油断はケガの下です。
さあ!登るぞ~!
初めて登る山、どれだけ大変なのかわからないから、ちょっと緊張気味です。
最初は林の中を進みます。夜露で地面が少しぬかるんでいるのでちょっと滑りやすい。林を抜けると一面のススキ!そして雲一つない青空が広がります。
15分ほど登ると猟師岳と合頭山の分岐地点の広場に到着。
360度開けた素晴らしい景色。こんな中を登山できることに感謝。
少し水分補給をしたらすぐ出発です。
初めに合頭山へ向かいます。途中この季節に高山地域でしか見られない植物も多く、団委員さんに色々教えてもらいました。
ただ登って景色を眺めるだけではなく、季節折々の植物で月日の移ろいを感じながら山を登る楽しみ。勉強になります。
歩いて15分ほどで合頭山に到着!風もあり気持ちいいです。
ここでちょっと休憩。朝も早かったので軽食や飴を口にしてエネルギー補給。
合頭山ではベンチャー・ボーイに課題です。シルバーコンパスを使って方角や座標、そして猟師岳にいるトンツゥを救助するという課題。
トンツウを救助した先に何が待っているのかな?
一度分岐点まで戻って、猟師岳を目指します。
おなじ道ですが、行きと帰りで少し景色が変わりますね。
猟師岳へ向かう途中、気持ち悪い実?花?がありました。
マムシグサという実が取れたもので、見た目と名前の文字通り毒があります。
途中多くの登山客とあいさつを交わしました。皆笑顔であいさつを交わすこの光景は、登山する一人ひとりの心がけで成り立っているものです。こういったマナーを次の世代にもちゃんと引き継いでいけるようにしたいですね。
ミヤマキリシマと一緒に一枚
合頭山の分岐点から30分ほどで猟師岳山頂に到着!
ボーイ隊は救助したトンツゥからの指令書が・・・!ビーバー・カブにはこれまで教えてもらった野草の名前を答えよというもの。さぁこの指令をクリアすることができるか!?
トンツゥから方位角の指令が・・!
時間は11時前、朝も早かったのでお腹もペコペコです。
お昼を食べる場所へ向かうために少し下ると、ミヤマキリシマの群生地と開けた場所が・・・!!
すごい景色です。もう「すごい」以外の言葉が浮かびません。
この景色の為に登ってきたんだなぁ。疲れも吹っ飛びます。
この景色のなかお昼ご飯。
「頂きます」の祝詞をあげてスカウト弁当をみんなでほおばりました。
山を登った疲労感と達成感と景色でいつもよりおいしく感じますね。
昼食後、トンツゥから指令の答え合わせ。
その後、団委員さんからこれから向かう北里柴三郎についてのエピソードの説明。
山の子の歌を教えてもらいました。
山頂で記念撮影
この景色ともお別れですが、帰りは九重山を目の前に拝みながら下山です。
最初から最後まで楽しい登山でした。
ここで素晴らしい山のエピソード。
下の写真の団委員さん持っている杖。先日下見に行った際に頂上に置き忘れた団委員さんの母の形見。
今日到着したとき、他の登山客の方が登山口に置いていてくれていました。
また、他メンバーが今日落としてしまった水筒も、見える所に置いてありました。
登山をする方々は、忘れていった人が困っているだろうな、という思いやりの行動が自然にできる人が多いという心温まるエピソードでした。
登山をする人の心の豊かさに感謝です。
続いて北里柴三郎記念館へ。
2024年7月から20年ぶりに紙幣のデザインが変わり、1000円札の肖像画が野口英世から北里柴三郎になりました。
北里柴三郎の出身地、熊本県阿蘇郡小国町北里は猟師岳から近く、今度の肖像画の人物がどのような人だったのか、スカウトに勉強してもらうために北里柴三郎記念館に訪れました。
北里柴三郎は、幼いころから何事も突き詰めないと気が済まない性格で、幼少期の「光る縁側」というエピソードがその性格をよく表していました。
医学を志した北里柴三郎は、留学先のドイツで破傷風の純粋培養を世界で初めて成功させ、帰国後に福澤諭吉の支援を受けて伝染病研究所を設立。
前千円札の肖像画になっている野口英世や、赤痢菌を発見した志賀潔なども伝染病研究所の出身です。
その後も、学生時代に確信した「医者の使命は病気を予防することにある」との想いを胸に、予防医学に生涯をささげ「近代日本医学の父」と呼ばれています。
記念館の中には、北里柴三郎の生家や貴賓館、故郷の子供たちの為に建設された「北里文庫」などを見ることができます。
貴賓館の二階からの眺めは、小国の里山と「わいた山」(登山の時の指令で出た山)を一望でき、北里柴三郎が愛した風景だったそうです。
他にも北里柴三郎の顔はめパネルもあり、スカウト達はこぞって北里柴三郎になりきっていました。
最後に北里柴三郎記念館の館長さん(北里柴三郎のひ孫)へカブ隊の組長からお礼と記念品をお渡ししました。
今の日本の衛生環境の礎を作ってくれた偉人「北里柴三郎」
明治維新という劇的な変化の時代に、人々の為に生涯をささげた姿勢はボーイスカウトに通ずるところも多いです。
まだまだ、小学生のスカウト達には北里柴三郎の功績の何がすごいのか理解が難しいかもしれません。(少なくとも私が子供の頃は理解できなかったと思う・・・)
記憶の隅に昔こんなこと言っていたなぁ程度でも、未来を紡ぐスカウト達の記憶に残るような活動を続けていけたらと思います。
長い旅路も終わり日吉神社へ到着。
日吉神社では今日の無事に帰ってこられたことを感謝してお参りです。
今日は一日天気に恵まれ、阿蘇高原の素晴らしい景色を堪能し、日本の偉人「北里柴三郎」の功績を勉強させて頂きました。
自分の利益ではなく、日本の未来を想って努力をしてきた先人たちの気持ちを少しでも感じてもらえたらなと思います。
最後に各隊に分かれて活動は終了です。
今日は、スカウト・保護者・リーダー達もお疲れさまでした~。ゆっくり休んでね~。